朝起きると、トイレの外で巨大なうんこが何個も落ちていた。くろのもので間違いない。
余談ですが、腎臓の機能が低下すると、猫は便秘になりなかなかうんこがでなくなる。それを改善すべく、療法食の消化ケア系の食事と、ラクツロースという便秘改善薬を処方してもらい毎日与えていてもやはり堅い上に、詰まるから大きいうんこになってしまいトイレ以外で、もらしてしまっているのが実情です。
話を戻して相変わらず、老猫のくろはご飯を食べない。柔らかい食事なら食べるかと思い、”ちゅ~る”をあげて見るも全く興味を示さず水しか飲まない状態が続いている。
奥さんは実家で長らく猫を飼っていたので猫に詳しく、その上で「猫は死ぬ間際、おなかの中のものをきれいにするために食事をしない」と言うので益々、もうまもなく旅立つのかと考えてしまう。
また、先日のテンカンを発症した際に様々な人のブログ記事を調べまくって得た結論が、猫は死ぬ際体温が低下する。そしてエネルギー消費を抑えるために、わざと冷たいところで寝そべり体温を更に冷やそうとするということがわかった。今起きている状況がまさにそうで、やはり死は不可避なのかと悲しくなってしまう。
思い返せば、くろとももの姉妹が生まれてすぐに里親募集の団体から譲り受けて一緒に暮らし始めてもう18年過ぎている(奥さんと過ごしている時間より3年長い)。自分自身の人生においてこの18年は他人を応援するために自身と家族を犠牲にしてきた苦しい時間であったなぁと。この苦難の中一緒に居てくれたことがどれだけ私の心の支えになっていて、それがあったからこそ今の成長した自分があるのだということを思うと感謝の気持ちを感じる一方、自分自身もいずれ迎える「死」が現実として存在することを再認識させられる。
更に、この姉妹の猫を飼うのが初めてだったので初めの数年間は扱い方がわからず、もしかするとくろにとって嫌なことをしていたかも知れないと考えてしまったり、果たしてこの18年の一緒に暮らしたことがくろにとって幸せな人生が過ごせていたのだろうかと心配してしまったり色々考えてしまう。
もし苦しむようなことがあれば、やはり安楽死を選択してあげることがくろにとって幸せなのかも知れないと色々考え込んでしまい気持ちが重くなる。
とりあえず体温を測るべく、体温計にビニールを巻いてワセリンを塗りお尻から挿入して測ったところ37度丁度くらいで、このまま下がり続けるとやはり・・・・と思ってしまう。