明日は資源ゴミの日なので出しに行く。くろがいるベッドには私と奥さんがいて、奥さんに横にトムがへばりついている。すぐ隣のキャットタワー最上段にまめが、正面の扇風機の隣にももがいる。
ゴミ捨てから戻ってきてから、私はくろの口周りをノンアルコールの除菌ウエットティッシュで拭いていて気がついたのだが、よだれと思っていた汚れは血の塊であった。2日前、ライトで喉を確認したときはきれいだったので、歯茎周りがただれてしまっているようである。体が旅立ちの準備をするときに真っ先に劣化してしまう部分なのかも知れない。
更に私は体温を計測してみた。ありえないほど低かった・・・・。
また間違ったところに入れてしまったのかも知れない、再度お尻の穴を注意深く探して体温計を挿入した。すると、時間がいくら過ぎてもちっとも計測されない。88.8という初期状態の数字が点滅したまま進まないのだ。どうやら、体温は測定不能になってしまったようだった。
昼間にすでにくろの死を引き受けたので今回はお互い泣くことはなかった。
くろはウォーターベッドに横になっている。頭をゴツンとベッドの壁に押しつけて寝ている。このゴツン寝も猫にとっては安心するようでよく遭遇する光景だ。
体温を測定したのが0:04頃、その後からくろは幾度となく頭を起こして私たちを確認すると、寂しそうで弱々しい、今までに聞いたことのないような鳴き声でひと鳴してくる。不安で寂しいのだろうか、私たちが『ここにいるよ』と答えると安心したのかすぐにゴツン寝を始める。そこから1時間ほどこのやりとりが続いた。
私は奥さんに『苦しんでいるのかも知れないかな?そうだったら、安楽死を選ぶべきだったのかな?』と迷いが生じた質問をしたところ、『そうではない、くろは今私たちだけを認識していて意識がもうろうとする中不安で不安で仕方ないから私たちの存在を確認しているのだ』と答えるので、しばらく考えた後、『確かにそうかも知れない』と思った。と同時に、『野良猫は逆に一人で寂しく不安の中死んでくのか』と言うと、奥さんは『多分そうだよ』と返事を返してきた。
そういえば、敬愛している西部邁先生が生前に、『結局どのような人間であれ、最期は一人で寂しく死んでいくのである』と仰っていたので、私の最期も一人寂しく死んでいくのかと思うと寂しくなった。出来れば死から逃れたいものである。
猫も大事な家族。最期を見守ってくれる家族が居るというのは旅立つものにとって本当に幸せなことなんだろうなと思った。
不安で度々起きてこちらを見て鳴いてくるくろに対して、私たちは優しく声をかけ体を撫でて安心させてあげることに努めた。そのうちに、もはや声も出なくなっていたので口の動きで理解し応えてあげた。
くろが不安で度々声を上げていると、その気持ちを察知して他の猫たちが落ち着かなくなりあちこち走り回って暴れ始めた。『猫は抱いた感情が伝播ししてしまう生き物だ』と猫の先生ジャクソン・ギャラクシーが言っていた。私もそのように納得している。知的生命体である猫の、可愛い一面だ。
『このまま続くとまずいな』と心配していたのだがそこから1時間過ぎた頃、1回くろが寝返りを打ちたいそぶりをしたのでひっくり返してあげた後、安心したのかずっと目を開けたまま、すやすや寝息を立て始めた。現在時刻、1:47である。
その1分後、くろは一度顔を起こしてこちらを確認してきたが声は出さなかった(口も動いていない)。奥さんは丁度トイレ掃除にいっていたので、私一人が『居るよ』と声を掛けて体を撫でてあげるとまた寝始めた。
この9日間は恐ろしい速度で時間が過ぎ、様々に感じ、考え、行動し、悲しみも感じた。その時抱いた感情、考えなどを忘れない内にと思い、書いた文章を見直すことなく走り書きで記事を更新し続けたので誤字脱字等多いことだろう。落ち着いたら見直して修正して行きたいと思っている。私たちと大事なくろとの最後の思い出となるからだ。
私たちは今、くろの安らかな旅立ちを待ち続けている。今晩も寝れそうにない。
現在時刻1:55、今のベッドの上の様子である。
左側はトム、右はもも、まめはさっき暴れてベッドの上に乗っかってきたが逃げて向こうの部屋に行った。くまも一度、くろのにおいを嗅ぎに来て自分の部屋に戻っていった。
それぞれがその時を待っている。