7:03 私も疲れてきたのでくろの横に横たわった。
くろを眺めていて、『本当に、よく諦めずに頑張るね。猫なのに。人間の自分もくろに負けないように諦めず頑張らねば』と思ったら涙が止まらなくなった。
7:19 奥さんはすぐ寝て寝息をかいている。そういえば、あれからもう起き上がろうとして私たちを確認しなくなったので最後がいつだったか調べてみると5時頃からだ。
もう意識がもうろうとして考えることが出来なくなったのか、意識が今ここにあって私たちを確認出来ているので安心しているからなのかはわからない。私も死ぬときにそれが解明できることだろう。
7:29 まめが腹を空かせているようで、アピールするためにベッドの上に乗ってきて更に奥さんの腹の上を歩くと、寝ている奥さんがうなった。私がご飯をあげてくる。
7:44 まめにご飯をあげて、私は朝食のソイプロテインを飲んで、コーヒーをしかけてきて戻ってくると、くろは1回大きく深呼吸のような仕草をした。
前回動画をあげてからと比較しても、呼吸が明らかに浅く小さくなっているようだった。このように徐々にあちこちが機能を低下させて行くんだなぁと、くろを見て初めて学んだ。
お別れの時は刻一刻と迫ってきている。
異変が生じて以来、私はほとんど仕事も遊びもせず只ひたすらにくろのために時間を費やした。過去19年の私の人生が熾烈で、家族(猫を含む)を犠牲にして仕事のため、他人のために時間とお金を捧げてきたのは誤りであったと痛感させられた。こんなに文章を書くのも過去にないレベルである。最期にくろがとんでもない置き土産を置いていってくれたので私はこれまでの考えを改め、しっかりと自分の時間を持って家族に時間を割きたいと思う。
それからずっとくろの冷たくなった手を握って温めてあげた、片方を温めそれからもう片方を。腕を触ってみたところ、確かにもう硬直してしまって動かすことが出来ないくらい堅い。これのせいで歩くことが出来なくなっていたのだと今理解した。またもう1つ気がついたことがある。おなかを触ると痛いのか、びくっと体が反応するようになった。昨日毛繕いしていたときはなかったので何故なのかわからない。後日かかりつけの先生に聞いて確認しようと思う。
私が8時過ぎからくろにべったりしていたところ、姉妹のももがやってきてそこから2時間ほど一緒に居た。相方がまもなく旅立つとわかっているのであろうか。
私はずっとくろの様子を眺めている。ふと表情を見ると非常に穏やかで満足そうな顔をしていたので、『本当にこれで良かったのだ』と私は安心した。先日のてんかんで苦しむ姿だけは見ていられない。
恐れていた薬の効果切れで、てんかんを発症することが今のところないので助かっている。
だんだんと呼吸のボリュームが小さくなっていて、どの段階で奥さんを起こすべきかと迷っていたら、起こすより前にむくっと起きてきた。9時41分頃である。私と奥さんと、ももと、トムでくろの様子を見守っている。
過去のくろとの思い出話や感謝の気持ちなどお互いくろに聴かせた。程なく私は、涙と鼻水があふれてしまった。18年超苦しい時代を一緒に過ごして支えて来てくれた存在なので居なくなると思うと悲しいからだ。
現在10時45分、くろから見つめられる位置にベッドを移して常にくろの様子を見守りながら忘れないうちに書いている。
しばらくして、私は奥さんにくろの思い出話を話し始めた。くろたちが来てくれて一番感謝していることを話そうとしたとき涙と鼻水が大量に出てきて話が途中で止まってしまった。進めようとするとまた詰まるので今の状況でしゃべるのは難しいなと思い直した。
それは突然やってきた。
12:17 奥さんが、くろの前足が痙攣し始めていることに気づく。慌てて私も確認する。
12:19 程なくして呼吸が止まって居ることに気づく。奥さんが心臓部分に手を当てて心臓の鼓動を確認すると弱く脈打っている。まもなく、痙攣性の?電気ショックのような、しゃっくりのような単発呼吸が始まる。それは、30秒間隔くらいで1回の割合で起こっていた。救命救急センターで電気ショックを施すような感じであった。くろが旅だったのだとお互い理解して号泣し始める。そして私が時計で時間を確認しようとしたとき奥さんは、『心臓が動いているからまだ』というので成る程と思った。まだ生きているから今のうちに『何か言うことないの?』と言ったとき、お互い更に泣き崩れた。
号泣しながらも心臓の鼓動は確認している。ティッシュが何枚あっても足らない。鼻水をティッシュで吹きながらくろへの感謝の気持ちを伝える。私はすでに動揺して平常心を保てないので、そこで何を言ったのか記憶が戻らないし、撮影もそれどころではなかったのでしていない。時計の時刻だけは忘れまじと記憶しておいたのだ。
12:24頃 一旦心臓が停止する。お互い、依然号泣したままだ。しばらくすると鼓動がわずかに脈打つことを奥さんが確認。『こういうことはよくある』と。
12:29頃 先述のしゃっくりのような単発呼吸も徐々に間隔が長くなりついにもう二度と起こらなくなった。呼吸が停止してから随分時間が経っているにも拘わらずまだ心臓が鼓動を脈打っているというのは驚かされた。
12:32 心臓の弱い脈打ちも徐々に弱まりついに鼓動を停止した。くろが旅だったのである。ここまで本当にくろは頑張った。挫折しない私ですら感嘆するほどに。今まで本当に、心からありがとう。
今回私は過去に泣いたことのないほど泣き崩れた。奥さんも私ほどではないにしろ、泣き崩れていた。覚悟はしていても、ずっと18年も一緒に暮らしていると親よりも家族でありそれを失うと悲嘆に暮れてしまうという事がよくわかった。まだ起きていないのでわからないが、私は親とは一緒に暮らして居らず実家を出てから20年が過ぎているので恐らく、父親が亡くなったとてそれほど泣くことはないのではないかと思っている。
心臓の鼓動が止まってからしばらくして、私の気持ちが少し落ち着いたところでくろの最期の直後の姿を撮影した。くろは一番体重が重いときで6kgほどあったのだが、加齢とともに痩せていき先日病院で計測したときには2.8kgまで低下していた。12歳の頃だったか、検査したときに腎機能低下が出ていたのでそれに起因する体重減少と、多飲多尿の症例が現れていた。
従って今回病名をつけるとすれば腎不全による病死ということになる。老衰で死ぬということは人間でも存在しない、何かしらの機能不全によって命を奪われるのである。
初めての「身内の死」に遭遇して、初めてわかったのだが猫に限らず人間も死ぬ直前から死後しばらくの間、糞尿やらがじわじわとあふれ出てくるそうである。くろは極度の便秘であったのと、食べなくなって9日も経過しているので幸いしているのか、おしっこが漏れてきていただけだった。
完全に動けなくなるその直前まで、腕が硬直してしまい立ち上がることすら困難な状況ですら、猫の威信をかけてトイレでおしっこをしたその姿が思い出される。本当に、すごい猫だった。
私と奥さんは、口周りや尿漏れで汚れた体を綺麗に拭いてあげて、お尻にはオムツを用意して身支度をしてあげた。
猫も死んでから49日はここに魂がとどまるそうなので、恐らく来ているであろうくろの魂に声を出して感謝を伝える。そして、私が死ぬまで見守ってほしいとお願いした。また、言葉で表現するのが難しい(泣き崩れれて声が出なくなる)ので私の頭の中に入ってくろへの気持ちを確認してくれたらいいとも伝えた。
石垣島には1カ所だけペットの葬儀場があり、不幸にも今日は定休日であったので明日電話し葬儀の段取りを相談するつもりだ。くろを霊柩しておくに最適なものがないので、上下を保冷剤で冷やして腐敗が進まないようにして私の机の横の椅子の上に安置した。くろの魂に見てもらいながら私は今このブログを書いている。『明日までこれで我慢してね』
私は、今日1時間も寝て居らずずっとくろを見守っていたので、毎朝の日課もやっていない。床に猫毛がかなり散乱しているので毎朝の日課を片付けて、一段落するともうくろがいないのだと寂しい気持ちになる。
空のくろ専用特製BOXと、
くろの最期を見守った私たちのベッドと、
お気に入りで長く滞在したお風呂場と、
猫の威信に掛けて最後の余力を尽くしておしっこをしたリビングのトイレと、
何故かお気に入りだった奥さんの部屋の机の下。
くろはもういない。この9日間睡眠を削って全力で見守ったいずれの場所も今は無機的で只むなしく感じる。私たち二人と、残されたまめ、くま、トム、ももの4匹でこれから暮らしていくのだと自分自身に言い聞かせた。
知り合いが心配の電話をしてきたのに気がつかなかったので、こちらからかけ直した。一度我が家に来ているのでくろたち猫の存在を知っている。特に、くろは誰にでも懐いて甘えるので印象深いはずだ。
話題はもちろんくろに関してで、私はまた泣き崩れて声を出すことが出来なかった。10分ほどかけてようやく片言の日本語を話し出来た程度でまた落ち着いたら電話すると伝えた。
やはりくろの旅立ちは辛すぎた。寝ればそのうち落ち着くだろうと思う。
さて、これから病院の先生への報告と質問したいことがあり向かう。また、保冷剤が不足しているのでくろを冷やしてあげるための氷をスーパーで仕入れようと思っている。
泣きすぎて、鼻水が出すぎて頭痛なので頭痛薬を飲もうと思う。今日はとりあえずこれで記事を終了する。